2022年5月6日金曜日

【Olé】ルイス・ディアスがリーベル・プレートに加入しなかった本当の理由



1月の加入から難なくフィットし、ビジャレアル戦でも途中出場し逆転勝利に貢献したルイス・ディアス。

トッテナムも獲得に迫っていたことは知られた話ですが、アルゼンチンメディア Olé によるとコロンビアでプレーしていた頃にアルゼンチンの名門リーベル・プレートに加入する可能性があったようです。

元記事はこちら → La verdadera historia de por qué Luis Díaz no llegó a River





テオフィロ・グティエレスはいつもリーベルやガジャルド監督、そしてファンの話をしてくれた。



ジュニオール・バランキージャに所属し、まだ22歳だったルイス・ディアスが左足から繰り出すドリブルはコロンビア全土を魅了していた。

味方はそれを楽しみ、他の19チームの選手たちは細長い左足からボールを奪えずに苦しんだ。
マークを付けてもすぐに片付けてチームメイトのアシストをしてしまう。

テオが強く主張していた "大きく飛躍する条件" を備えていた。

2018年になるとリーベルの頭にはコパ・リベルタドーレス以外は存在せず。

それは不思議なことではなく、ファンやクラブで働く人々の頭の容量を(決勝が行われる)マドリードが占めるようになっていた。

しかし、全員がそうだったわけではない。

マルセロ・ガジャルド監督はチームが突入した浮かれたバブルの外で何が起こっているのか、自身の計画書にある選手に注意を払っていたのである。

そこに書かれた名前は黄色で強調され、下の行にはフォローアップが記入されていた。

それが、エル・ムニェコ(ガジャルド監督の愛称)が夢中になっていたルイス・ディアスだった。

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永遠のような決勝戦(対ボカ・ジュニアーズ、2戦合計5-3で勝利)のあとにピティ・マルティネスがMLSへと旅立ったことで攻撃陣に非常に深い穴が開き、代役を探す必要がある。

無人のゴール(1点リードの延長後半終了間際のCKの場面、ボカはGKも上がっていた)に3点目を突き刺したアタッカーの不在を悟られないようにすべく、全てを備えたコロンビア人選手こそが探すべき選手だった。

リーベルの経営陣はエル・ムニェコの望みを叶えるために難しい交渉に臨んだが、事は実に複雑であり、ジュニオールには自分たちの宝石を手放す意思はなかった。

ジュニオールは最初のオファーの金額が期待にそぐわないものだと見るや否や、あっさりと拒否。

2020年までジュニオールの会長を務めた Antonio Char氏は移籍金として$1000万を要求したが、当時のリーベルには不可能な金額だった。

$600万と保有権60%との数字もあったが、最終的にリーベルが提示したのは保有権70%の$500万。

どうなったのか?ジュニオールは親指を下に向けた。

リーベルは南米王者になったばかりだったが、財政状況は良いものではなかった。

よく知られたアルゼンチンの国家危機、ドルの高騰に加えてシャツのメインスポンサーがおらず(数ヶ月後にターキッシュエアラインズと契約)、更には前年度のチーム強化への注力や才能ある選手らを獲得(アルマーニ、プラット、キンテーロ、スクリーニが加入)するために多額の投資が行われていた。

ひとつ特殊なのは、2019年の初めに加入した選手の価値を合計すると$893万ドルになり、ルイス・ディアス獲得を目指した際の金額よりも300万近く多くなることだ。

もちろん、リーベルはその金額でスアレス($300万)、カラスカル(買い取りオプション、$250万ドル)、アンジレリ($223万)、ロベルト・ロハス($120万)の4選手を獲得しているが。

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こうしてリーベルの手が伸びてこない中で少なくとも6ヶ月は残留することでジュニオールとディアスは合意し、2019年夏に€700万でポルトに売却された。

コロンビアで記録した106試合20ゴール、そして数千回と仕掛けたドリブルに注目したのはガジャルド監督だけではなかった。

過去10年に亘って安く買って高く売ることを最も得意としていたポルトが彼を獲得し、リバプールに€4500万で売却した。

現在、ルイス・ディアスはCL準決勝のビジャレアル戦など、いつも褒めているクロップのチームで才能を遺憾なく発揮して世界を幻惑している。



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