2024年2月26日月曜日

リバプール所属時を振り返るベナユン


元イスラエル代表MFヨッシ・ベナユンについてのDailymailの記事より。

2007年夏から2010年夏にかけての3年間をリバプールで過ごし、懐疑的な意見もあったものの、公式戦134試合に出場して重要なゴールで幾度もチームを救い、チェルシーやアーセナルを経て母国イスラエルに復帰したのちに引退。

奥様ミリトさんがリバプールファンで、その影響で同じくファンになった子供たちもアンフィールドでよく観戦していたが、ベナユン本人にとってもリバプールは特別な様子。

リバプールについて

私にとって特別な場所で、人生で最高の3年間だった。
すごく楽しんだし、皆んな良い人だ。私と家族にとって、選手としても適した場所だと感じていたよ。


クロップの後任について

リバプールとの繋がりを持っている人物でなければならない。

シャビ・アロンソや、意外かもしれないがスティーブン・ジェラードのような人物を連れて来ることができれば、クロップが作り上げたものを引き継いでくれるだろう。

彼らはリバプールを知っているからだ。

シャビとは友人で、何故皆んなが彼をリバプールの監督にと話しているのかが分かるよ。

スティービーはアストンヴィラではうまくいかなかったけど、スコットランドでは素晴らしい仕事をした。
キャリアで成し遂げたものからも、リバプールの監督を務めるチャンスに値する。

適切な人物を招聘すれば、リバプールは過去9年間のクロップの安定性を更に高めることができる。


今後について

ランパード、アロンソ、ジェラード。
アトレティコ・マドリーでコーチをしているフェルナンド・トーレスも親しい友人だ。

まだ現役のペペ・レイナ、レアル・マドリーでコーチをしているアルバロ・アルベロアとも良い繋がりがある。

最高の選手たちとドレッシングルームを共にした。
まだ友人でいられるということは、ピッチで成し遂げたことよりも更に大きな意味がある。

そういう人脈を利用するのも、成功するための仕事の一部なんだ。

選手としての夢は達成した。
イングランドでプレーすることは、私にとって信じられないことだった。

ウェストハム、リバプール、チェルシー、アーセナルでプレーするなんて夢にも思わなかった。

今も同じ。
私の夢は、フットボールにとって最高の文化があるイングランドに戻ること。それが今の願いだ。


チェルシー移籍やラファのマネジメントに抱いた不安ついて

ラファがモチベーションを上げようとしてくれていたのは分かるけど、時には選手たちが落ち込んだりドレッシングルームで騒ぐことのないように、どれだけ声を掛けていいかを理解しないといけない。

その点で我々は問題を抱え、それがドレッシングルームに持ち込まれて不利に働いた。

監督というのは、イエスマン以外にどんな人間を近くに置くべきかを理解しなければならない。
何故、『ラファの言う通りだ』と言う人だけを置きたがるんだろう?

ラファに足りないのはそれだった。
素晴らしい監督で、戦術的には最高の監督の1人で、選手を向上させてきたんだからね。

でも、選手たちとの関係というのは誰かの助けが必要だが、当時はそれが無かった。

続けられないと感じた。でも、私がチェルシーに加入して数日でラファが去ったんだ。
リバプールで続けたかったのに。『何故退団した?』と考えたよ。

でも、チェルシーに行けて幸運だった。
それから、アーセナルに行ってアーセン・ヴェンゲルと知り合えたのも幸運だった。

悪い状況でも、良いものを見つけたんだ。


現在、スポーティング・ダイレクターを務めるイスラエル代表、1970年のワールドカップ以来となる主要大会の出場に向けてユーロ2024予選を戦っており、3月後半にはアイスランドとのプレーオフ準決勝を控える。

しかし、イスラエルはガザ地区をめぐるハマースとの問題も抱えている。

ガザ地区に住むベナユンの妹家族がハマース戦闘員に襲撃され、イスラエル軍に所属する甥によって救われたものの『助けて、テロリストがいる』とのメッセージを受け取った経験もある。

そんな日本からでは想像できない壮絶な経験をしながら、『我々の役目は幸せをもたらすこと』、『代表チームにはムスリムもクリスチャンもいるが、皆んな友人だ』、『皆んなが混ざっていいんだ、政治は混ぜない』とも話している。



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